最終回 ネットやチラシにこそ愛を

この記事は、2015年にキリスト新聞で1年間した「スキルアップ講座 教会の情報発信術」を、さらに修正を加えて2016年度版として公開するものです。キリスト新聞はキリスト教界の最新情報を毎週まさに新聞という形で届けてくれ、たいへんためになる情報も盛りだくさんです。このような機会を与えてくださったキリスト新聞社のみなさまに感謝します。全42回です。

あらゆるものが情報発信をしている

今回が最終回です。ここまでホームページを中心に教会の情報発信のあり方について考えてきましたが、今回はいつもより大きな視点で教会の情報発信のあり方について考えてみたいと思います。「大きな視点」というのは、ホームページという枠だけで考えないことです。たとえば、教会の建物そのものも「そこに教会がある」ということを情報発信しています。教会の前にある礼拝案内や掲示板も情報発信をしています。このように情報発信とはネットやチラシだけではありません。ありとあらゆるものが情報発信をしていて、ネットはそのうちの一つだと考えることができます。ネットだけではなく、リアルの世界でもっとアピールするにはどうすればよいでしょうか。

教会を開き、地域に寄り添う

装飾がない頃の教会

装飾がない頃の教会

わたしはいろいろな教会のホームページを作ってきました。ただ、実際に教会の建物や教会前の情報発信をコンサルティングしたことはありません。そこで、わたしの所属教会の事例をご紹介したいと思います。手前味噌なのですが、わたし自身が自分の教会を見て、学ぶことがたいへん多かったのです。わたしが通う名古屋福音伝道教会は名古屋市中区にある大須仁王門通商店街のアーケード内にある全国でもめずらしい教会です。わたしはこの教会に長く通っていますが、2011年に現在の牧師が赴任してから、情報発信のあり方はずいぶんと変わったように思います。情報発信がすべての原因ではありませんが、礼拝出席者数は2011年から4年ほどで倍近くまで増加しています。

それまでは、平日は扉を閉め、説教題がたてかけてあるだけの状態でした。商店街の中にあるといっても宗教的な活動は制限があり、大々的にビラを配るようなこともできませんでした。そこに新しく赴任したのが保浦宏規牧師です。保浦牧師がまずされたことは、商店街の会合に顔を出したことでした。地域行事にも積極的に参加されました。そうして教会の代表である牧師が地域の中に飛び込んでいった結果、教会が地域に受け入れられるようになってきたのです。地域の人の牧師やクリスチャンに対するイメージもずいぶん変わったのではないでしょうか。

ベンチに聖書や観光案内を置くように

ベンチに聖書や観光案内を置くように

平日でも牧師が教会にいる時は玄関を開放し、礼拝堂の明かりを灯し、自由に出入りできるようになりました。教会の建物にはド派手な装飾が施されるようになりました。教会の前に礼拝堂の椅子を並べ、通行人が休憩できるようになりました。一つの椅子の上には、商店街の地図と共に、パンフレット類、新約聖書が置かれます。聖書は1ヶ月で100冊近いペースで消えていきます。

イベントも外に向いたものに

特に大きく変わったのはクリスマスのイベントです。かつては、クリスマス礼拝と祝会に人を誘うという、教会ではよくあるスタイルでした。しかし、はじめての人が礼拝と祝会に参加するのは敷居が高いものです。そこで、教会に入ることなく、福音に触れてもらうということを考えました。教会の前に出て、つまり商店街のアーケード内で聖歌隊が歌い、牧師がメッセージを語るという方法を取りました。地域からも協力が得られるようになったからこそ、このようなイベントが実現しました。以前にはありえなかったことです。

商店街結婚式を実現

商店街結婚式を実現

今年の教会員の結婚式の際には、近隣の飲食店が控室として場所を提供してくださいました。商店街がレッドカーペットまで用意してくださり、商店街の中を新郎新婦が行進することができました。この様子は一般の新聞社も3社も取材に来られるなど、注目されるとともに、とても祝福されたものとなりました。

わたしが学んだのは、教会がオープンになり、地域に根ざしていくことで、人々が入りやすい教会に変われるんだということです。力んで特別伝道礼拝をするのではなく、わたしたちが最初にすべきことは相手から受け入れてもらい、信頼を得ることだと思いました。信頼がなければ、どんなにすばらしいみことばも聞いてもらえないのです。日頃から教会の扉を開けて、誰でも入りやすい教会を志していくことが、最高の情報発信なのだと気づきました。わたしは自分の教会を通してそう感じています。

わたしたちこそ開かなければならない

玄関装飾が施されるように

玄関装飾が施されるように

毎日、教会の扉を開けるというのは、簡単ではありません。しかし、ホームページを公開することで、教会の中を他の人に見てもらうことができます。教会の前にパンフレットを置いて、通りかかった人が手軽に手に取れるようにすることもできます。教会の看板やパンフレットにホームページのアドレスを書いておくといいですね。時々「オープンチャペル」と題して、礼拝堂を開放して、静まってもらうだけでもいいと思います。英会話教室や手芸教室なんて開いてもいいですね。地域の清掃活動などに教会が参加することで、地域の人と教会員がふれあうこともできます。教会をオープンにする方法は、考えればいっぱい出てくると思います。少しでも教会の敷居を下げようとする気持ちが大切ではないかと思います。これまで相手が心を閉ざしているかのようにわたしたちは感じていました。むしろ、わたしたちが閉じていたのです。そして先に救われたという優越感を持って、相手を見下していたのです。わたしたちこそがもっと開いていかなければならないと思います。

派手な装飾に教会の方をつい見ていく人も多い

派手な装飾に教会の方をつい見ていく人も多い

ホームページは教会をオープンにするのを手助けしてくれます。ホームページも「まずは信頼を得ること」が大切です。自分の言いたいことだけを言う人は、あまり信頼を得られませんね。これはホームページでも同じことがいえます。自分たちの書きたいことだけ書いていても信頼を得られません。とにかく読み手の立場に立ち続け、読み手が聞きたいであろうことを書くことが大切です。これをこの連載を通して言い続けてきたつもりです。
「予約はいりません」「献金の時間がありますが、無理してささげる必要はありません」「服装は自由です」「聖書も賛美歌もお貸しします」「お子さん連れでもお越しいただけます」「駐車場もご用意しています」「無理な勧誘をすることは一切ありません」そのような配慮をホームページでもされているでしょうか。

リアルでもネットでも大切なのは愛

こういった配慮が教会のホームページには必要です。教会のホームページこそ愛が必要です。教会の中ではみなさん暖かい愛のある方々なのに、ホームページやチラシになると不思議とそっけないのです。そもそも読まれないと思っているからではないでしょうか。少なくとも書かなければ読まれることはないのです。

さきほど、「リアル」(現実世界)という言葉を使いました。「ネット」はリアルの対局にあるように思われますが、そうではありません。ネットの向こうには紛れもなく心を持った人がいて、みなさんの文章を読んでいます。リアルでもネットでも大切なのは愛であって、祈りつつ愛をもってわたしたちが相手に寄り添う時にはじめて「伝わる」のだとわたしは信じています。みなさんの情報発信が暖かく愛のあるものとなるように祈りつつこの連載を閉じたいと思います。ここまでのご愛読、本当にありがとうございました。