第16回 読み手の立場で専門用語は使わない

この記事は、2015年にキリスト新聞で1年間した「スキルアップ講座 教会の情報発信術」を、さらに修正を加えて2016年度版として公開するものです。キリスト新聞はキリスト教界の最新情報を毎週まさに新聞という形で届けてくれ、たいへんためになる情報も盛りだくさんです。このような機会を与えてくださったキリスト新聞社のみなさまに感謝します。全42回です。

専門用語は原則避ける

重要なポイントの一つとして、前回は「たくさん書く」ことをお伝えしました。文章こそみなさんの思いを伝える大事な要素です。文章があって画像や動画が活きるのです。文章が少ないホームページは人間味を感じられないと思います。ぜひ頑張って文章を入れて頂きたいです。

今回は第二のポイントとして「専門用語を使わない」ということを取り上げたいと思います。
わたしたちは信仰生活を重ねていくうちに当たり前のようにクリスチャンにしか分からない「クリスチャン用語」を使っています。  わたしはプログラマですが、一般の方にプログラムについて説明する機会がよくあります。むずかしい言葉は避け、やさしい言葉を使うようにしています。

気をつけていても、使ってしまう専門用語

しかし、長年プログラマをやっていると、専門用語がつい出てしまいます。それどころか専門用語を一般的な用語と勘違いすることもあります。たとえば「デフォルト」という単語は「初期値」の意味でプログラマの世界では当たり前のように使います。ある時、お客様をサポートする時に「デフォルトの設定はどのようになっていますか?」とお聞きしたら「デフォルトって何ですか?」と言われてハッとしたことがあります。「デフォルト」を一般的な単語だと思い込んでいたのです。

クリスチャン用語も似たようなところがあります。「三位一体」とか「デボーション」とか明らかに専門用語だと分かる用語は皆さんも意識されると思います。問題は先ほどの例のように、当たり前のように日頃使っている単語がふと出てしまうことがあることです。

たとえば「賛美をする」という言い回しはよく使いますが、普通の人には通じません。わたしは「賛美歌を歌う」という言葉に置き換えます。
「証し」もクリスチャン用語です。そこで「教会員の声」という風に言い換えようとするのですが、「教会に行くには教会員にならなければならないのか」と教会に行くことを躊躇することになりかねません。ある教会では「礼拝出席者の声」としてあって、感心しました。

救い? いったい何から救われるの?

「あなたの救いのために」というような言い回しはよく見られます。信徒ではない方はまったくピンと来ないですね。まず「何から救われなきゃいけないのか」分かりません。「罪からの救いです」と答えたところで、「罪」もクリスチャン用語なのです。一般的には「罪」の意味は英語で「crime」にあたります。つまり、法律に違反したことが罪だという理解です。キリスト教的な罪の意味を理解しない限り、「罪から救われます」と言われてもピンと来ないのは当然ですね。

「主」も、わたしたちは毎日のように口にしますが、信徒ではない方には意味が通じません。わたしがまだ信仰を持っていなかった時は奇妙に感じたものです。
「イエス様」という敬称をつける表現もわたしは避けるようにしています。これは信徒ではない方は違和感を覚える表現なのです。イエス・キリストを受け入れて初めて「イエス様」と素直に言えるのではないでしょうか。
会社でも、自分の上司や同僚を外部の人に紹介する時は敬称をつけませんよね。ですから「イエス・キリスト」と書き直します。

専門用語を使う場合は、意味が分かるように配慮を

しかし、どうしてもそのような言葉を使わざるを得ないケースもあると思います。そのような場合は注意書きを入れても良いと思います。あるいは簡単な用語解説のページを作るのも良いでしょう。単語をクリックすると用語解説の該当する単語が表示されるというような機能はホームページの特性を活かした形になって面白いですね。
さて、ここで大事なことは、これらの言葉を使うとか使わないといった議論をすることではありません。みなさんそれぞれが読み手の立場に立って言葉の使い方を配慮することを考えて頂くきっかけとなればと願っています。